6月20日(月) メンフィス〜ニュー・オーリンズ AM6:00、起床。夜中から頭痛。どうやら昨日、暑い中プレスリーの敷地内を帽子も被らずにホッツキ歩いたせいで、日射病にかかったようだ。1日もすれば直ると AM8:00、ニュー・オーリンズに向かって出発。走るのは、高速道路55号線。テネシー州のメンフィスからミシシッピー州(Mississippi)を縦断して、ルイジアナ州(Louisiana)のニュー・オーリンズ(New Orleans)までの約640Kmになる。ヤング・グループは1時間早く、7時に出発した。 ここ数日間、音楽の発祥の地を訪ね歩いているようなコースである。即ち、カントリー・ミュージックのナッシュビル。ロックンロールの或いはプレスリーのメンフィス。そして今日訪ねるのが、ジャズが生まれた、ニュー・オーリンズである。勿論他にも産業は有るのだろうが、その町を代表するものを一つだけ挙げようとすれば、そうなるのかも知れない。 AM10:00、トイレ休憩。アイスクリームが食べたくて手頃な物を一つ。2.35ドル也。アメリカでは、消費税が州によって異なり、しかも外税だから、その場で正確な価格を計算するのは難しい。金額を告げられて「だいたいそんな所だろう」と思って支払っているのが実状だ。 同行のアッキーが、コーヒーを買ってミルクを入れようとした時、何かに引っかけてコーヒーをそっくりこぼしてしまった。私は「それを見ていた店員はどうするのかな」と思っていると、ただモップをアッキーに渡しただけ。新しいコーヒーをサービスすることも無かったし、アッキーも一度舌打ちしただけで、新しく注文することはなかった。「自己責任の現実を見たような気分になった」と言うことは、大げさだろうか。 PM0:00、途中の東屋風の休憩所で昼食。食糧が入っているボックスを開けると、蟻がぞろぞろ動いている。何時の間にこんなに成ったのだろうか。そう言えば夕べのキャンプ場に沢山居たっけ。それにしてもこんなに沢山。そしてもう卵まで産みつけている。我々はその蟻をキッチンペーパーで除去した後、何事もなかったかのように食事を始めた。こんな旅行に来る人は皆たくましい。 ポールは「1年前に、9ヶ月間のアフリカ旅行から帰ってきた所だ。全ての費用を合計すると、オーストラリアドルで、約2万ドル(約160万円)であった」と言う。「道理でキャンプ生活に馴染んだ動きをする人だ」と思った。テントの張り方や、サンドイッチの作り方を見ていると、非常に手際がよいのである。「その後、オーストラリアの北にあるパプア・ニューギニアに1週間行ってきた。こちらは、ジャングルを歩いたのでとてもきつかった」と言う。 ちなみに彼は独身。結婚の経験がないと言う。こちらも「やっぱりそうか」と思う。何となくそう言う雰囲気を持った人である。アッキーも独身。リンダは離婚。この旅行に参加している人は、私を除いて皆一人者だ。私が例外なのだろうか。おまけに、ガイドのブリッタの両親も離婚しており「自分も結婚したら、離婚するでしょう。アメリカでは60%が離婚するし、それがアメリカの文化だから」と言って笑っている。 PM0:45、食事を終えて出発。 PM1:45、しばしの居眠りから目が覚めると、また雨が降っている。今は雨の多いシーズンなのか。 PM2:10、トイレ休憩。 PM3:00、走行中、ヤング・グループの車が立ち往生しているのをブリッタが発見。すぐに駆けつけて行き、戻って来て言うには「向こうの車の窓ガラスが一枚割れてしまったので、こちらの車に移動させます」との事。急遽こちらの車が13人の満席に成ってしまったが、こう言う時のツアーガイドの連携、采配は見事である。 しばらく窮屈な思いをしたが、隣に韓国人留学生のヒュン・オー(呉 賢)が座って来たのでしばらく懇談できた。彼女は他の西洋人の中には、入っていきにくさを感じており、私は彼女のネイティブではない、ゆっくりした英語なら問題なく聞き取れるので、それなりに会話が弾んだ。彼女は、日本経済のこと、家庭と仕事の両立のこと等を質問してきた。 PM4:00、無事ニュー・オーリンズのフレンチ・クォーター(French Quarter)にあるホテル(Best Western)に到着して、チェックイン。ガイドのブリッタは、ヤング・グループを別のホテルへ連れて行く。私は4日ぶりのホテルにほっとして安堵感を覚え、心行くまでシャワーを浴びた。 Best Western
Hotel PM6:00、ニュー・オーリンズの町へ繰り出す。「フレンチ・クォーター」と言われる旧市街地の独特の町並みを見て歩く。フレンチと言うからフランス風の建物が有るかと思うが、実際の家々はスペイン人によって建てられた。フランス人が築いた建物は、1778、1794年の大火によって消失。このときにニュー・オーリンズを統治していたスペイン人によって、現在の町並みが築かれた。木造建築と、通りに張り出した2階のバルコニーが特徴的である。 French
Quarter-1 French
Quarter-2 PM7:30、賑やかな町中の、酒場を兼ねたスペイン風レストランで夕食を取ることに。メニューを見てもピンと来ないので、魚介類と野菜の多そうな物を選んだ。出された物は、エビの唐揚げをフランスパンで挟んだもの、それに野菜が添えられていた。お味は今一で、全部は食べられませんでした。ベジタリアンのブリッタが選んだ料理の方が、美味しそうであった。 PM9:00、食後、再びフレンチ・クォーターを散策。あちこちから流れてくるジャズのライブハウスの一軒に立ち寄った。さほど広くない店内は、立ち見客が居るほどの盛況ぶり。壇上の演奏者も汗をかいている。ジャズの生演奏を聞くのは初めての経験だが、トランペット、サキソホーン、ドラム、ギター、どの演奏者も見事でした。 Jazz ジャズの余韻を味わいながら、ミシシッピー川のほとりを歩く。帰り道はフレンチ・クォーターの賑やかな通りを、右に左に曲がりながら、歩いてホテルへ。 PM11:30、ホテルに戻り就寝。 6月21日(火) ニュー・オーリンズ AM8:30、起床。こんなによく寝たのは久しぶりだ。今日は、夕方の5時半までフリータイムと言うことで、気分的にリラックスしている。 AM9:00、朝食に降りていくと、バイキングスタイルであった。シリアル、ベーグル、コーヒー、オレンジと食べていると片づけが始まった。食べていたのは私一人であった。 AM10:30、特に当てもなく出かける。いつもの「犬もあるけば」の気分で。まず、昨日最後に歩いた、ミシシッピー川を目指す。途中のポストカードを売っている店に立ち寄って雨傘を購入。13ドル也。昨日、車から降りる時には有った雨傘が、どこを探しても見あたらない。空は今にも泣き出しそうだし。 次に歩いたのが、フレンチ・マーケット(French Market)。どこにでも有る市場でそれほど大きくもない。お菓子屋さんの前を通ると、客にかまわず下を向いてクロスワード・パズルを解いている女性店員が居た。気になって声をかけると笑顔で応えてくれた。「父がドイツ人、母がフィリピン人で、西洋とアジアの血が半々。友人に広島の子がおり、いつか京都に行ってみたいと思っています。日本にすごく興味があって、日本の歴史とロシアの歴史を学びましたが、全く異なるので驚きました」となかなかの博識ぶり。「写真を撮らせてもらって良いか」と聞くと少しはにかみながらも、ポーズを取ってくれた。 French
Market French
Market-2 ミシシッピー川の土手を歩いていると、反対側から韓国人女性:ヒュン・オー(Hyun Oh)が歩いてきた。「やー!また会いましたね」と声を掛け合って、それぞれ反対方向へ。ここは亜熱帯気候特有の高温多湿で、歩いているだけで汗がじっとり滲んでくる。土手を歩いていると、セントルイス大聖堂(The St. Louis Cathedral)や、ジャクソン広場(Jackson Square)も見える。 Hyun
Oh The St. Louis
Cathedral ミシシッピー川の渡し船が無料で乗れると聞いて、船着き場へやって来たが、何時出航するのか分からない。係りの人に聞くと「乗客が満杯に成った時点で動くので、何時戻ってくるかは分からない」と言う。私は乗船を諦めて歩きだした。 キャナル・ストリート(Canal Street)と言うこの町最大の大通りに出て、路面電車の停留所に腰掛けていると、つい30分ほど前に、ミシシッピー川の土手で、2、3段の階段を上ったり下りたりして遊んでいた1歳前後の赤ちゃんが、ママの腕に抱かれてやって来た。もうスヤスヤ眠っている。「先ほどお会いしましたよね」と声をかけると「ええ、子供は疲れたようで寝てしまいました」と笑顔で。 Canal
Street AM0:30、ガイドブックを見ていたら、この近くに日本人が経営する、石水(せきすい)と言う寿司レストランがあると書いてあったので、そこを目指すことに。300mほど歩いたところにその店は有った。ドアーを開けて中に入ると、発音のハッキリしない声で、それでも多分「いらっしゃいませ」と言っているのだろうな、と思われる声が一斉に聞こえてきた。私はランチ・メニューの中から1つを選んで注文した。 テーブルにはキッコーマン醤油が2種類置いてある。すぐに出てきたのは、味噌汁と野菜サラダ。味噌汁は寿司を食べながら飲みたいのだが、こちらのしきたりではスープとして、メイン料理の前に出てくるようだ。しばらく待たされた後、皿に載った寿司が出てきた。アボガドのカリフォルニア巻きが6個、マグロのノリ巻きが6個、にぎりが5個。まずまずの量だ。 お味も外国で食べることを考えれば十分合格だ。わさびとガリの量が多すぎると思ったが、結果的にガリは全部食べてしまった。緑茶のサービスがあって、15ドル也は納得の価格でした。レジの女性に「日本人も働いているの?」と聞くと「オーナーだけが日本人で、今日は来ていません」との事。そして「魚はここから車で35分程の所へ毎日買い出しに行きます」と言う。従業員の教育・訓練が、きちんとされていると思った。 PM1:40、路面電車(Streetcar)に乗って、行くところまで行ってみることに。往復2.5ドル。歩くのと変わらないようなスピードだが、車内が涼しいので助かる。面白いのは運転手が、止まる度に後ろを向いて運賃を受け取っていることである。30分程で終点。改めて乗り直し乗車駅に戻ってきたのは、PM2:40でした。 Streetcar-1 Streetcar-2 PM3:10、ホテルに戻って、シャワータイム。近くのコインランドリーで洗濯。5ドル也。この時になって今朝から探していた雨傘が出てきた。なんとビニール袋の中に、スニーカーと一緒に入っていました。普段は決して入れる事の無いところで、しかも折り畳み式の傘が小さくなっていた為に、全く気が付かなかったのだ。昨日、ヤング・グループが我々の車に移動してくると言われて、慌てて荷物を片付けた時に、ビニール袋に入れてしまい、すっかり失念していたのでした。今朝、雨傘を購入したことを、ブリッタに言うと「領収書が有れば返金してもらえると思う」と言うので、領収書を探したら有りました。 PM6:00、フレンチ・クォーターの美しい街並みを見ながら、オプションのミシシッピー川クルーズ(Mississippi River Cruise)へ出発。その途中で傘の返金をしてもらった。
French
Quarter-3
French Quarter-4 PM6:40、フレンチ・クォーター・ドック(French Quarter Dock)から乗船。通常の料金が食事付きで61ドルの所を、トレック・アメリカの割引で48ドルに。2割引は大きい。トレック・アメリカは観光業界では、それなりの市民権を得ているのだと思った。 French
Quarter Dock 乗船するとすぐにビュッフェ(Buffet)形式の食事。味はまずまずでした。船は午後7時に出航し、午後9時に戻ってくる、2時間のクルージングだ。ただし、食事は前後2組に分かれ、我々は前半の組。後半は午後7時45分の開始だったので、その時刻になると、席を立たねばならなかった。 Buffet
Jazz-2 Jazz-3 我々はデッキに出て、陸側の景色を見たり、船上のジャズの生演奏に聴き入ったりして過ごした。乗船した時はまだ明るかった空が、下船の時はすっかり暗くなっていた。 Mississippi
River
Cruise-1 Mississippi
River Cruise-2 ミシシッピー川と言うと、マーク・トーウェン(Mark Twain)著の「トム・ソーヤの冒険(the Adventures of Tom
Sawyer)の舞台に成っているが、そのモデルとなった所は、ミズーリー州(Missouri)のハンニバル(Hannibal)の町だから、此処よりよほど上流である。 その他のニュー・オーリンズ関係では、米英戦争末期(1814年12月から1815年1月)の「ニュー・オーリンズの戦い(The Battle of New Orleans)」や、2005年8月末の、「ハリケーン・カトリーナによる大災害」がある。 只、私が現地に来てみて意外に思ったことは、ニュー・オーリンズはミシシッピー川の河口にある。つまり、メキシコ湾に面して位置していると勝手に思い込んでいたのだが、それは間違いであると分かった点である。確かにニュー・オーリンズの町は、ミシシッピー川が大きく左右に蛇行しながら貫流しており、あちこちに大小の湖沼がある、複雑な地形である。しかしミシシッピー川がメキシコ湾に注ぐまでは、まだ100マイル(160km)程も残していると言うことである。「百聞は一見に如かず」をまたしても体験することになった。 PM9:30、ホテルに戻り、昼間に済ましておいた洗濯物をたたみ、妻宛メールの送信。 PM11:00、就寝。 6月22日(水) ニュー・オーリンズ AM6:00、起床。日記を書く。 AM8:30、朝食。洋食のバイキング。 AM10:00、ホテル出発。今日の予定はオプショナル・ツアーで沼地へ行き、船に乗ってワニを見に行くスワンプ・ツアー(Swamp Tours)がメインだが、その前にブリッタの好意で、昔、サトウキビ・プランテーションで財をなした農園主の館を見に行く。今は6軒だけが保存され、見学ができるようだ。 AM11:30、ニュー・オーリンズから車を飛ばすこと1時間半。トイレ休憩。売店のオーナー風の男が私に声をかけてきた。「君は中国から来たのか?」「日本からです」「今回の地震は大変だったな。テレビで見たよ。それにしても、中国人はしばしば、韓国人は時々来るけど、日本人が来たことはないな。実は最近は此処ルイジアナ州でも、メイドイン・チャイナが多いのだよ」と言って冷凍食品が入っている冷蔵庫から魚介類の袋を取り出した。 そして「ほら、メイドイン・チャイナだろ?こっちにある玩具は全部チャイナだ」と言って、不満そうな口振りであった。私たちがすっかり話し込んでいる為、ブリッタが「マサは、トイレを済ませたの」と、出発のサインを出してきた。 AM11:45、サトウキビ・プランテーション・オーナーの家(Houmas House Plantation)に到着。敷地の中に入って見学している人たちも居たが、我々は時間がない為、塀の外側から母屋の表側を見ただけで終わった。しかしパンフレットで見ると、実は表からは見えない裏側がすごいらしい。噴水のある池や橋があり、とても個人の家とは思えない豪華な建物のようだ。こちらではこう言うのをマンションと言うらしい。日本のマンションはアパートメントに含まれるようだ。希望者は予約しておけば、家の中で食事ができる。 Houmas House
Plantation PM2:00、スワンプ・ツアー参加のため、大急ぎでニュー・オーリンズの反対側にあるハニー・アイランド(Haney Island)まで車を飛ばす。ブリッタが所要時間の予測を間違えたのか、昼食時間が取れなかった。乗船時刻ぎりぎりに到着してそのまま乗船。此処の料金も通常23ドルのところが、トレック・アメリカの名前で17ドルに割引。 20人乗り位の小さな平底舟に乗ってツアーの始まり。此処の売りは巨大なワニ、アリゲーター(Alligator)を近くで見られる事だが、しばらくの間、亀しか見られず「今日は、ワニにはお目に掛かれないのかな」と心配していた。20分間ほど何事もなく過ぎた頃、ワニが静かに現れました。ワニは目だけを水上に出しているので、見つけにくいが、泳いでいる時には、わずかな波紋が水面に立つので、見つけることが容易になる。 Swamp
Tours Swamp
Tours-2 船頭のお兄さんが棒の先にソーセージをつけて水面を叩くと、ワニが寄ってくる。お兄さんとワニの駆け引きが始まる。ワニはソーセージを食いたい。お兄さんはそう簡単に食わせたのでは、ソーセージが幾らあっても足りない。じらされたワニは、1m程空中にジャンプしてソーセージに食らいつく。時には勢い余ってワニが船にぶつかって来る。このシーンを小さな船の中から見る事は、結構迫力がありました。
Alligator Swamp 行く先々でワニを見つけては、同じようなシーンをお兄さんが演出してくれる。時には、しっぽや大きな手をつかんで見せてくれる。サービス満点である。他には、岸辺をラクーンが徘徊していたり、大小色とりどりの鳥が飛んでいたり、豊かな自然に接することが出来た。 Swamp-2 岸辺には住民の家や、別荘と思われる家も散見され、釣り人や少年たちの水遊びも見られた。時々スピードを上げて水面を走る時は、帽子を飛ばされそうになりながらも、涼風を満喫できる。 こうして2時間のスワンプ・ツアーは無事終了。お兄さんに3ドルのチップを渡して別れた。ニュー・オーリンズは、いろんな顔を見せてくれる。 PM4:00、昼食が出来なかったお詫びにと言って、ブリッタが通りがかりのマクドナルドに寄って、アイスクリームをご馳走してくれた。今日の昼食はアイスクリームでオシマイ。しかし、これはブリッタの好意の結果だから、特に気分を害した者は居ない。むしろ1食位、抜いた方が胃には良いかも。 PM5:10、ホテルへ帰着。朝10時に出発して、2時間のスワンプ・ツアー以外は、ほとんど車で走っていた事になる。 PM6:30、ブリッタを除くメンバー4人で夕食へ。今夜はニュー・オーリンズの名物料理、ジャンバラヤ(Jambalaya)を食べた。米を肉汁で煮て、チキンやシーフードや豆を混ぜ、香辛料を効かせたニュー・オーリンズ風のおじやと言ったところ。3種類の味を一度に味わえる、コンビネーション・プレートを注文した。どれも似たり寄ったりの味だが、米がベースになっているので、食べやすい。カレーライスに近いと言っても良いだろう。税、チップを含めておひとり様18ドル也。 Dinner 食事中の懇談で、ポールの現役時の職業は看護師で、3年前に退職したと言う。リンダは会計事務所で事務員をしている。まだ現役で今回は休暇を取ってきた。また復帰は出来るが、休暇中の給料は出ない。アッキーは、現役の公務員で役所の経理を担当。 ポールが9ヶ月間のアフリカ旅行をしたことは前に聞いたが、「その間に2度の泥棒と1度の強盗に会った。その中には酒に酔ったりして、自分に落ち度が有ったこともあるが、自分に落ち度が無い時もあった」と言って、腕に負った傷の跡を見せてくれた。 リンダは「車でアメリカのロス・アンジェルスを旅行中、車のドアーをこじ開けられて、所持品をそっくり持って行かれた事がある。気をつけた方がいいわよ」と言う。 食事がそろそろ終わる頃、いきなりの雷雨になった。気分を出すために、わざわざ店の外で食べていたので大変だ。店の中庭はテンヤワンヤの大騒ぎ。それでも私の席の上にはテントが架かっていたので、直撃は免れた。暫くすると小雨になったので、歩いてホテルに戻ってきた。 French
Quarter-5 PM9:00、シャワーとメールを済ませ、PM10:30に就寝。 6月23日(木) ニュー・オーリンズ〜レイク・チャールズ(ルイジアナ州) AM7:00、起床。 AM8:00、朝食。日本から持参した調味料を使うチャンスがないので、フロント係の黒人の婦人にあげたらとても喜んでくれた。 AM9:30、出発。ゆっくり楽しめた、ニュー・オーリンズともお別れだ。車は高速道路10号線を西へ約400Km走る。 PM0:10、移動の途中にあるタバスコ(TABASCO)工場を見学。簡単な歴史と製造方法を聞いた後、短いビデオ鑑賞。その後流れ作業の工場内を見た。キッコーマンの工場見学を思い出す。帰りにミニサイズ瓶のタバスコをくれるのも似ている。工場は世界で此処にしか無く、此処から全世界に輸出していると言うが、その割に工場は小さく思えた。見学後、敷地内のベンチで昼食。 TABASCO PM1:45、出発。 PM4:00、今夜のキャンプ場である、ルイジアナ州のレイク・チャールズ(Lake Charles)に到着。早速テント張り。今日で3回目になり、一人でテントを張れた。つくづく合理的に出来ている事に感心する。軽い素材で小さく折り畳んであるが、広げると2畳程の大きさになり、一人で寝るには十分である。 トレック・アメリカで用意してもらった45ドルの寝袋も、期待以上に使い心地がよく、「天気さえ良ければキャンピングも悪くないな」と思えるようになって来た。 PM5:00、夕食まではまだ時間があるし、天気も良いのでハイキング・コースを歩いてくる。 Lake
Charles-1 Lake
Charles-2 大まかな地図は持っているのだが、20分程歩いたところで道に迷ってしまった。やむを得ずキャンプ場に引き返した。ポールが「もう一度、行ってみないか」と誘ってきたが、私は「此処でゆっくりしたい」と断った。他の2人も私と同じ気持ちのようで、元気なポールが一人で出かけて行った。 PM6:00、夕食の準備に取りかかる。今日のメニューはキャンプ場定番のカレーライス。ルーは「S&Bカレーの中辛」が用意されていた。ブリッタが「この製品を知っているか」と聞くので「日本では有名なブランドで、我が家でも毎週使っている」と答えたら、「ふーん」と頷いていた。 カレーの具は、数種類の野菜とチキン。ジャガイモは無し。米は鍋で炊いているが水加減が難しく、何度か水を加えながら、食べられるように柔らかくなるまで持っていく。結果は、芯の残った飯と水っぽくて味の薄いカレーライスになりました。「キャンプ場での料理だから、これもアリか」と複雑な思いで口に運ぶ。 PA8:00、夕食後、暫く懇談。ブリッタが自分の写真を見せながら、父母、兄弟、継父、別れた恋人の話等を聞かせてくれるが、人間関係が複雑で混乱してしまう。そして彼女は「ロッククライミングが好きで、何度も地元の新聞に掲載されたことが有る。一度は同行者が宙吊りになり、その人が危うく左腕切断の危機に陥る体験もした」と言う。 「マサの家族の写真はないのか」と言うので、パソコン内を探すと長女の結婚式の写真が出てきた。見せてあげると「オー、ビューティフル!」次女の着物姿には「自分も着物を着てみたい」と言っていた。「奥さんとは結婚して何年になるのか」と聞くので「39年」と言うと「私のおじいさんみたいに永い」と感心していた。 此処のキャンプ場にも、大型のキャンピングカーが沢山来ている。大型バスから更に両側に広がりを持った車もある。「このままでは道路を走れないでしょう」と聞くと、「走る時は、両サイドに出ている部分が、中に入ります」と言う。「なーるほど!」と、感心することしきりなり。「これだけ広かったら完全に住宅並だね」と言うと「中には定年後、住宅を売ってキャンピングカーに買い換え、移動しながら、そこで住んでいる人も居ます」との事。「そこまでやるか?!」ちなみに豪華なキャンピングカーになると100万ドル(8000万円)位すると言う。 PM10:30、シャワーを浴びて就寝。 |